直接聞こうお葬式
葬式仏教という、皮肉に近いことばがあります。
私は今年43になる年齢ですが、同年代の人は、もはやどこが皮肉なのかすらわからないはずです。
みなさまはどうですか?
今回の結論を先に述べておきます。
もし、お葬式にかかわらず「このお寺に関わりたい」とか、「最終的にここにお願いしないと」というお寺や僧侶が思い浮かぶなら、インターネットや周りからの情報では解決はしません。
結局は、直接聞くことが近道だし、準備や判断材料に一番大切なものが集まります。
反対に「誰にこういうことをお願いしたい」というお寺や僧侶がなければ、私で良ければいくらでもお問い合わせください。これは、今後も大切なことですので、ことあるごとに示して参りたいと思います。
さて、今回はこの「葬式仏教」ということばについてです。
いつも通り、超絶ダイジェストでご紹介します。
【むかーしむかし、僧侶になる、出家をする、という人は、「成仏」を目指し、あるいは悟りを得るため、仏道修行をしてきました。
その過程で、葬式をしたり、亡き霊を供養してください、というお願いや、それが当たり前の文化などが進んできました。お墓などもそのさらに進化系でしょう。
世の中が、仏教=お葬式、になってきたし、本当の仏教を教えようとする人がいないじゃないか、ということ】
まとめますと
本来の仏教 =仏道を修行し、それを人々に広めたり救済したりするもの
葬式仏教 = 葬式をするための仏道の修行をしてきた人たちによる、宗派や行動
みたいなところでしょうか。
私の今現在での考えですが、
「なんちゃら仏教でもなんでも良い。無関心、目に入らない、触れてもらえないでは正しいも間違いも始まらない。」です。
なお、揶揄される点の一つに「仏教のビジネス化」みたいな意味合いが含まれていることも理解しています。
しかし、たとえば定額化しようが、明確化しようが、自由化しようが、その良し悪しはそれこそ時代のビジネス感で変わると思うので、あくまで「機会」としての意見です。
長くなりそうなので、何回かに分けてお伝えしてみようかと思いますが最終的な結論。
「お通夜やお葬式にきちんと向き合うことができれば、故人は安心する」
この点だけは間違いないと思っています。その上で
・どう準備すべきか
・どういう方法がよいか
・費用はどう考えておけばよいか
などなど。疑問や不安、気付かないことがあって当たり前です。
これらは、最初に戻りますが、「誰やどこへ頼みたい」が決まっているなら、そこへ直接聞くのが、解決や実現への一番の方法です。決まっていなければ、必要であればいくらでもお問い合わせください。
広く仏教では、「末法」という時代を定めています。
0お釈迦様が亡くなってから200年以降はお釈迦様自身がいないため、教えのみが残り、人々が悩み、迷う時代、これが末法です。
そんな時代です。僧侶やお寺に改善を求める声があるのもわかります、肝に命じなくてはならないこともたくさんあります。
それでも、みなさまには今ある仏教に触れてもらいたく、少しづつでも活動してまいります。
次回は、先日のお通夜とお葬式での話を準備してみたいと思います。
はい、その通りです、なんと今回はオチがありません!
オチがないので、地獄へオチない!🙏🙏🙏