桜と祈る女子高生
※新年度に合わせて、ブログをスタートします。
多くの方の目に触れるわけではないでしょうが、どなたか一人でも気持ちが楽に、あるいは新たに踏み出すきっかけとなってもらえたらと思っています。
あっという間の桜の開花、本堂前でまぶたを閉じ、手を合わせる女子高生の姿。
「声をかけてもなぁ」と、寺務などしているとインターホンが鳴る、先程の彼女だ。
何かを持ち帰りたいようだが、決まっていない様子。
こちらから赤いお守りを渡すと納得し、そして考えて「絵馬もください」と口にした彼女。
昨日まで大きな水泳の大会だったが、思うような結果ではなかったと教えてくれた。
夜にひとり、色々と考え悩んだ姿が思い浮かぶ。
朝を迎え「もう一歩、自分の決意を確固たるものにしてくれるものはないか。」と思うかたわら、急な気温の上昇や、近所に咲く桜がヒントとなったのか、自身が通っていた幼稚園が寺院であったことに気がついたのだろうか。
いずれにせよ何かしらの感覚の片隅に、当坊があったことは嬉しい。
彼女は思い切って足を運び、一晩中煮詰めて煮詰めて、シンプルになった願いを持ってきた。
絵馬には「インターハイ決勝進出」とだけあったのだ。
お節介なおじさんは、彼女と対面し、また絵馬を目にし、2つのことを感じ取った。
一つには「一人の願いを運んできたのではなく、複数の人間や、あるいは団体の思いを叶えたいと思ってきたのだろうな」ということ。
もう一つには「全員の願いを叶える目標を端的にあらわすことは、かなり難しかっただろう」ということ。
令和の?現代の風潮?
とかく言葉のあげ足をとられ、気に入らなければさらされ、強制的であればとがめられる。いっそ何も表明しないほうがよいのかな?ずるいような切ないような、そんな場面すら思い浮かぶ。
そんなときだからこそ余計に、昨日からの彼女のすべての行動に思いを寄せてみてほしい。
周りにいる人々の幸せを願う、純真無垢で尊いものに感じるだろう。同時に、強いSOSも感じるのだ。
絵馬の文字が叶うのか、もしかしたら一歩届かないこともあるかもしれない。
それでも、いつかゴールを迎えて、再び彼女との再会が叶うのなら、結果は聞かずにお疲れ様とねぎらい、そして日蓮聖人のお手紙にあるこんなことばを贈りたい。
「花は根にかえり、真味は土にとどまる」
~花が咲くという結果は大切で誰もが目につく。そしてそれよりも、あなたがあの日ここで願った気持ちと、足を運んだ行動こそ、育てた人関わった人、すべてを幸せにし心を動かすものであったのだよ~