第19回 希望と青春
ひょんなことからこのブログのお知らせをしてみたのは、会社員時代の元同僚。
すぐに「すでに見てるよ」
の返信。
え!すごい嬉しい!
なんでしょう。
お檀家さんからの「見てますよ」の嬉しさは、壇上で表彰していただいている感じ。
同僚からのものは、ばったり会った友人のお母さんから「頑張ってるね」ってアメ玉もらった感じ。
なんだこの文章 笑
遠慮なく感想や意見をもらいたくて、ブログへのご指摘をお願いしました。
それを踏まえて、私なりに出した結論はこうです。
・もう少し短い文章にする
・一回でも理解しやすいように、専門用語をより減らす
せっかく同僚に触れましたので、少し昔の話。
「青春」と言えば、学生生活を思い浮かべる方も多いでしょうが、私の場合は会社員時代もそう。
学生ではないけれど大人にもなりきれず、とにかくがむしゃらに働く。
煮詰り、焦り、キャパオーバーの汗は運動より疲れるし、それでいて認められない。
それでも明日はすぐ来るので、仲間を励ますことでなんとか自分を保つ。
(だから、自分のためですよね、あれ。)
泣いている子がいれば朝まで寄り添い、悩んでいる子がいれば朝まで付き合い、喜んでいる子がいれば朝までお祝いする。
これって仕事してたって言えるのでしょうか? 笑
今になって、文字にしてみて思うこと。
いつも周りに仲間がいて、足を引っ張る時間すらなかったことへの感謝。
ありがとう、雑念のないあの日々とみなさま🙏
さて、「青春」の起源?は五行思想とかで、
未来に希望を膨らませ、成長しつづける時期・・・春、青いもの=「青春」
というものらしいです。
恥ずかしながら、私は思ってしまいました。
体力の衰えや、物忘れもあるけど、膨らむ希望は変わらないし、成長したい。
え?
図々しいけど、誰もが「まだ青春なんじゃないか」と。
同窓会が盛り上がるのは、思い出話もそうだけど、別れ際に「また会う日まで頑張ろう」っていう希望的要素も強いような気がしませんか?
成長したお互いの姿を見て、励まし合いたい人がいると思うのです。
よし、お寺はみなさんの希望が集まる場所であろう。
そのためには、いつも会う人、なかなか会えない人、もう会えない人。
どなたにとっても「希望を持とうと思わせてくれる場所」でなくてはならないから
「いつも希望を持っている場所と住職」でいよう。
日蓮聖人の誓いは偉大で公共性と優しさに溢れています。
我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ
等とちかいし願、やぶるべからず。