2024/04/02

共有寺

桜の季節には、普段お見えにならない方が足を運んでくださいます。

よくある質問に合わせて、ちょっとお寺の紹介を。

ここ光長寺、西之坊は「檀家寺」です。

各ご家庭のご先祖の供養をして(菩提を弔って)きたので、お檀家さんからすると「菩提寺」と表現されます。(ちなみに法華宗寺院は檀家寺が多いです)

他にはどんなお寺があるのでしょうか。簡単に表現してみますと

「観光寺」

拝観などを主とするお寺。

「信者寺、祈願寺」

ご先祖の供養とは別で、お経への信仰を目的としたり、願い事をしにお参りするお寺。

ほんの一例ですが、一口にお寺と言っても、成り立ちはもちろん異なる役割、目的があります。

というわけで、檀家寺である西之坊の、68代目の住職としてご縁をいただいた私ですが・・・

この西之坊は「共有寺」という存在にしたい、そう思っています。もちろんこれまでのお檀家さんを大切にしながらも、いろいろな人と触れ合えるお寺。

「共同」とは仏教語ですが、同義である「共有」をするお寺。何を共にしよう。出来るなら楽しいことばかり共有したい。

そうはいかない人生ですが、この西之坊に来れば、笑えることも、涙をこらえることも、腹の立つことも、少しづつ共にしてくれる空間と人と、ほとけさまがいる。なので、自然と足が向く。

それが西之坊の目指す「共有寺」です。催しをすること、人を集めること、にぎわうことが目的ではなく、ふらっと立ち寄れて(●●●●●)しまうお寺でありたい。

妙法蓮華経の一説をお借りします。(如来寿量品第十六 通称“自我偈”部分より)

衆生所遊楽  衆生(生きとし生けるもの)が遊楽しているところには

諸天撃天鼓  諸々の天界の神仏が天の鼓を撃ち鳴らして

常作衆妓楽  常にたくさんの音楽を奏でている

遊楽とはなんでしょう。それはいわゆる「遊ぶ」「楽しむ」という意味合いを含み超えて、

「ありのままを受け入れる、ただし悲観していない」と受け取れます。

だからこそ、さまざまな場面や人や時間をたくさん共有をしていく中で、いつの間にか笑顔で過ごせていたなら、それが一番良い。

そんな、苦楽共に持ち合える場所でありつつ、やはり楽しめるお寺でいられるように。

観光寺院ではありませんが、思いつく限りの準備をして、拝観される皆さまをお待ちしております。

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