2024/04/11

第10回 伝えるものとつたわるもの

1日ブログを休むだけで、こんなにリフレッシュ感と罪悪感を感じることができるなんて・・・


さて、東京都千代田区にある千鳥ヶ淵での、戦没者慰霊法要に参加して参りました。

なぜ4月11日なのか。我々法華宗でいうところの「昭和法難」にゆかりのある日だからです。

法難とは??
鎌倉時代、日蓮聖人は、法華経を広める中で、国から迫害や弾圧に遭いました。これが法難、です。
広める行為をやめさせるためのもので、人を葬るようなところに住まわされたり、電気も浮き輪もない時代に海上の岩に取り残されたりするわけですが・・・
それでも国のため、人々のため、生きとし生けるもののため、法華経を広め続けました。

時は昭和初期。
法華宗に対し、国から「あなたたちが敬う日蓮聖人の残したものや、主義主張するものは、日本の国の神をきちんと敬えていない」という判断がくだされ、法華宗の僧侶や関係者が検挙され、実際に投獄されました。
昭和初期・・・収監された環境はいかほどのものだったことでしょう。

この昭和法難、数々の資料が残っており、「教えを曲げて、妥協してまで助かろう」とする人がいなかったことがわかります。
この苦労たるや、文字だけでは到底伝わらないでしょう。

喉は渇き、血は流れ、身体的痛み、今後の精神的不安。
耐えた先に何を想っていたのでしょう。

何の苦労もしていない私が推察するのは大変失礼ながら、今後を生きていく僧侶としてその想いを後輩に伝えるとしたのなら・・・
何を伝えたいか、ではなく、伝わる方法を考えなくてはいけない、と思うのです。

今すぐ答えは出ないけれど、どうでしょう。
駅伝でいうタスキ、なのでしょうか。
 「大事にいただいたものを、そのままつなげたい。自分たちの都合で途絶え、違うものを渡すことはしたくない。」

また機会があればこの法難についても、研究者からのお話しを紹介してみたいなと思いますが、この慰霊法要を始めたのが、当西之坊66世の川口日唱聖人であることにも妙縁を感じます。

国から「昭和の法難」を受けた4月11日は、法華宗にとって大切であり、また平和を祈るうえでも重要な1日、そして決意の1日でもあるのです。

さて、私自身はというと、伝道隊という組織の一員として参加。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑の周りを約2キロ、団扇太鼓を鳴らして南無妙法蓮華経のお題目を唱えながら歩かせていただき、全体でのお経が始まった後も、ふたたび太鼓を鳴らさせていただきました。

法華宗の宗門事務のトップ、金井孝顕宗務総長は挨拶にて「私はいつもここで世界が平和になればいいな、と思い祈っております。でも、残念ながら戦争は終わっていません。一度はじめたらやめられないのです」と口にされました。
「みんなで祈りましょう」だけでなく、言いづらい事実もきちんと口にされ伝えてくださる。すると、総長の誠実さが伝わり、決意が広がっていく。そんな感覚を覚えました。

さて、今回の日蓮聖人のお手紙です。

仏の御心はよき心なるゆへに、たといしらざる人もこの経をよみたてまつれば利益はかりなし。麻の中のよもぎ・筒の中の蛇・よき人にむつぶもの、なにとなけれども心もふるまいもことばも直しくなるなり。法華経もかくのごとし。なにとなけれども、この経を信じぬる人をば仏のよき物とをぼすなり

良いお経に触れ、良い人と仲良くしていれば、心もふるまいもことばも気持ちの良いものになる。なにとなくても、この法華経を信じる人を、佛は良きものとおもうのである。

私の唱えたり、歩いたりした行動は、法難などと比べたら、いや比べる事自体がおかしいほど大したことではない。

ないけれど、良いお経に触れ、良い人たちと一緒にお唱えできたこと。それをお寺に持ち帰って、またみなさんと共有したいな、利益をおすそ分けできればな、と感じた次第です。

そして正直に、事実も思いも話そう、そう思ったのです。
「ちょっとしか歩いていないし、外国人の方に写真を取られていることを意識してしまいましたが・・・無事、周りにいる方々へ、お題目のシャワーをお届けしました。私自身は満足です。」

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