みんなこども
いつもありがとうございます。
このブログは、毎回でなくても、だれかおひとり、ほんの一瞬でもいやなことを忘れたり、頑張ろうと思っていただけたら。そういう思いで更新しております。
影響をあたえたい!批判して正す!
そんな意思は全くありませんため、至らない点はご容赦ください🙏
(こんな前置きが必要な時代となりました、それも楽しんでいきましょう☺)
さて、今回はまずお経から。
妙法蓮華経譬喩品
其中衆生 悉是吾子
この世の生きとしいけるものは、ことごとくこれ、我が(仏の)こどもなんだよ
祈願する際に読み上げたり、お釈迦様の慈悲をあらわすときに用いられる文です。
ただ、正直にいいますと、お檀家さんにどうやったらうまく伝わるかな、と思っていたことも事実。
そんな折、ある書籍紹介の音声をたまたま聞いて、「これだ!」と思い、ご紹介します。
青年と老人のやりとり
ある青年が、「一旗あげてやる」と宣言し、上京して就職。
しかし、寝る間を惜しんで働いても、業績も人間関係もうまくいかない。
さらに、恋人も「昔は輝いていたのに」との一言と共に離れることに。
ぼろぼろになり、街のガラスに写った自分。
確かに、覇気がなく、姿勢も悪く、年相応ですらない。
ふと「確かに、私は全然だめだ。こんな人生、終わらせた方が良いのでは」という考えがよぎった。
そこに老人が現れる。
老「そこのあなた。あなたの人生は何点?」
青「30点くらいなんじゃないですかね」
伝えた表情も声のトーンも、ひどいものだっただろう。
老「あなたのことを愛している人は?」
青「そりゃ、両親や家族、友人がいますよ!!」イライラして答える。
老「じゃあ、あなたのお母さんは小汚くて、友人もたいしたことのない人でしょう。」
青「そんなわけないだろ、馬鹿にするな!」
老「私が言ったわけじゃないわ。類は友を呼ぶのだから。
あなたが自分を30点と思うのなら周りの人も30点。もちろん、これから会う人も30点。」
老人は続けます
老「あなたが自分の人生を30点と言っていることをお母さんが知ったらどんな気持ちになると思う?
覚えておいて。このままいけばあなたは、大事な人を傷つけることになる」
・・・怒りが、悲しい感情に変わっていく。今まで我慢して積もったものが涙に変わる。
老「今まで生きてきて、あなたのことを変わらず愛してくれたのは誰?
現状を悲しんでくれているのは誰?
あなたのためなら、たとえ傷ついても見返りを求めない人は誰?」
青「母です」 自然と言葉が出てきた。
老「今度はあなたから見て、お母さんに点数をつけてみて」
青「100点ですよ!いや、それ以上!」
老人はようやく笑って言いました
「何かが出来ないから、何かが足りないから100点になれないのじゃなく、あなたは100点の自分に気づいていないだけ。
100点のお母さんから生まれてきて、100点と思う家族に囲まれている。友達だってきっと100点よ。」
「もう一度聞くわね、今のあなたは何点?」
私で言えば
悔しくていつの間にか泣いていた帰り道。
認められず、朝までお酒を飲んだ日。
ひとりぼっちでゴールがわからなかった日常。
人がうらやましく思えて、そこにも自己嫌悪になる自分。
よぎりによぎりました。
人それぞれ感じるところは違うでしょうが、同時に、誰もが一瞬ハッとする内容のようにも思うのです。
そして今に戻り、
私自身は、両親のことも浮かびましたが、
「父親が自分の人生を30点と言ったら、子どもたちはどんな思いを持つだろう」とも思いました。
「ダサい。」ならまだ良い。
多分、大きくなればなるほど、「切ない」に変わるだろうな、と。
あくまで私の感覚、です。
本日、このタイミングで御夫婦2人と、就職して間もないひとり暮らしの長男さん、長女さんが参列してのご法事がありました。
かいつまんで上記のお話しをして、さいごにこう結びました。
「みなさまが集まって、今はこうだよ、あぁだよと元気に楽しく話している姿をみせることも、大事なお供えのひとつです。お釈迦様もみなさまのほとけさまも、100点をくださっているに違いありません。我々はみんな子どもなのですから」
ほとけさまからの視線もおすそ分け。