2024/04/17

だら

遠方の用事が多い中、そろそろブログをあげない訳にいかない。

そんな訳で、新幹線車内にて文章を作ろうと試みたわけですが・・・


途中から、「ビールプシュ&同席上司のしょうもなさ&上から目線コネ入社&納得いかないクライアント」と仮のタイトルが簡単につけられるほど、洗練されたあるあるトークが耳から離れず。。。

ちょっと違うテイストということでお付き合いください。

本山での千部経の結願法要(またその内説明します。)でお経をあげ、片付けを中座させてもらい枕経へ。枕経とは、お亡くなりになって、最初に故人の前で行う読経です。

奥様がタイ出身の方ということで、いつも以上に丁寧にと思いながら向かいましたが、結果、お亡くなりになった方を思う気持ちは、当たり前ですが何ら変わりなく。「どうか、よろしくお願いします」と、多少カタコトかもしれないけれど、しっかりと、誰にでもわかるように口にされました。

その様子でふと思い出したこと。


タイ語は、同じ文字を違う発音で意味を変えるよう話す。だから、発音を正確に、丁寧にしないと伝わらない。

なので、しっかりとご挨拶いただけたのかな、と思うのでした。

余談ですが、大学に入ってすぐ、野球部の先輩に「だら!だら!」と言われ、ちょっとよくわからなかったので、「はい!はい!」と答えたら、ボコボコに

いや、めちゃくち怒られた経験があります。
私の地元の湯河原では、語尾に「だら?」をつけることが多々あります。

例えば、「お前んち、お寺だら?」など。だから、何か聞かれてるけどやりすごそうと、とりあえず笑顔で元気に返事。


「だら」の意味は「バカ」だそうで、そりゃ怒ってるのにそんな態度をしたら、神経を逆なでしてるようなものですよね・・・

同郷の後輩の方から直接教えていただき、そこで初めてボコボコに

いや、怒られた理由を知る。

というわけで脇に逸れましたが、場所、国、人種、気候、いろんな要件が混じりあって、その中で生きていくために作られた文化とことば。どれも素晴らしいし、どれも珍しいし、もちろん優劣なんてもってのほか。

でもたまに、「あの人◯◯だから」「こいつは常識知らず」「新しいこと好きだからあんなことしてる」なんていう、良く知りもしない人の評価を下げることで生きていけてる!そんな人がいて、あることないこと言ってくる。


自分も自分で「もしかしてこう思われているかも」「あの人そんなことしそうじゃないのに」「それはひどいね」一喜一憂のお付き合いをしてしまうときもある。

思い込みって、固定観念。


ついでに言えば、それを本人に確認することもしない。だから、真実もどうせわからない。


そんな、確認もしない、真実もわからない、空想の世界ですらない、答え合わせのない予想の羅列に、いちいち悩んだり落ち込んだりして、気持ちを落とす必要なんてない。

それでも巻き込まれる時は、偉人の言葉でも借りて、遠目からしれっと投げつけておきましょう。
アインシュタインは言ったらしい

「常識とは18歳までに身につけた先入観のコレクション」


私からは、お釈迦さまを通して日蓮聖人がお手紙に書かれたことばをご紹介します。

「法華(経)をしるものは世法を得べきか」

〜法華経を通して学び、過ごすことで、世間の教えを体現することができる〜

法華経は、それまでの教えをガラッと変えるものでした。批判もあっただろうし、信じられない人も混乱する人も出たことでしょう。でも、一番の奥底に「人々を救いたい」という目的がある。これが「慈悲」。

そんな慈悲には及ばないけど、少しでも近づくためには、非常識でもダラでもなんでも良い。
目の前の人のために、きちんと言葉を発せる人でありたい。

ということで、後ろの2人から密かな決意をいただいた1日でありました。
(でも勇気が出なくて2人に言葉は発していない・・・)

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