2024/04/22

おくられるひと、送る人

本日ご法事に見えたお檀家さんから「いつもブログを楽しみにしています」とのお言葉をいただき、恥ずかしい気持ちも反面、やはりうれしく受け取りました。

2年前に旦那さまを亡くされ、今年のはじめにお父さまも故人となり、お送りさせていただきました。
どなたの訃報も悲しいものですが、より近しい人の葬儀を準備し送り出すことの大変さは想像に難くありません。

2年前の暮、旦那さまは出張先でお倒れになり、そのまま帰らぬ方となり、菩提寺もない。

ほとんどの病院では、お身体を長い時間置いておいていただくことはかなわず、悲しむ間もなく、調べ物、書類、業者さんの決定を余儀なくされます。

もともと、知人を通して連絡が入りましたが、この過程を十分承知しているつもりなので、西之坊としてどうこうよりもまず、急に「ご遺族」となられた方々の負担を少しでも減らしてさしあげたい、と考えています。

落ち着くまでは、お寺が関わるか否かは別として、とにかく一つずつ、順序立ててできるよう、葬儀屋さんもご紹介しながら進めていきます。

そんな過程を経て、元からのお願いとして
「お檀家さんでなくても、お葬式をお願いできますか?」
という話になりました。

お通夜を過ごし、お葬式を送り、出棺を迎えて、ようやく奥さまの涙を見ることは出来ましたが、娘さんは見られなかった。
涙がどうこうではなく、ずっと気を張っていなきゃいけなかった状況を思うと、もう少しお寺側が気を回してさしあげてもよかったよな、と反省したことを覚えています。

それから、お寺にお参りする機会が増え、色々な方とのつながりがわかりました。また子どもたちへのお土産や、美味しい食べ物をお持ちくださるようになりました。


ありがたく頂戴しながら、「もっと旦那さんやお父さまにこうしてあげたかった」「あそこに一緒に食べにいった」「喧嘩したなぁ」など、あたたかみもお預かりしている気持ちになります。
子どもたちには「いただいて当たり前じゃない」と「どういう思いが込もっているか」を何度も伝えます、ほんとに何度も。(あれポケモンしながらだけど伝わってるのかな・・・)

そういうことがもっと思い浮かぶような、お経をあげたいし、法号(戒名)をおつけしたい。
※この話はまたそのうち

それから大切なことは、お経をお願いしたいお寺さんがあるなら「【まず】そのお寺に相談する」という点です。
葬儀屋さんに相談してはだめ!ということではなく、先に段取りをしてしまってから、お願いしたいお寺さんが「それなら出来ない」ということが考えられなくもないこと。
昔からの菩提寺さんがあるならば、何らかの配慮をしてくださることが多くあるからです。

さて、日蓮聖人は

臨終のことを習って、その後に他事を習うべし

と説かれています。

これはお葬式を指すわけではなく、誰もが迎える命の終わりを、どのようにして受け止め、あるいはそこに向かって日々を過ごすか、という「故人本人の」意味合いが強いでしょう。

ただ、送る側の私たちはどうしても最後まで一緒にいたり、言いたいことを話し合いきって、亡くなる方と過ごせるわけではありません。
照れや遠慮も邪魔をします。
そのまま、私たちが悩んだり悔やんだりしたまま送る姿を見たくないようにも思います。
ですから、どうやって送ってあげたいか、お伝えいただいておくことがやはり大切なように思うのです。

長くなりましたので今日はここまで。

あとがき

今年のお父さまのお通夜とお葬式。親族控室からはそこまで盛り上がるか!の大爆笑、拍手とにぎやかな声 笑
私は心から良かったと感じましたが、なによりお父さまは本当にうれしかっただろうなぁ

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