第24回 いろいろな伝言
生家である湯河原のお寺に、よく電話がかかってきていました。電話の相手は、いとこのお兄さん。
前の月にお兄さんの父、つまり叔父さんが亡くなる。
親戚であり僧侶である父に、いろいろな相談とお願い、話を聞いてほしかったのだと思います。
電話が何度か続いた、雨のある日。その日、電話はかかってこなかったが、食卓を囲む中、父が急に「あっ!?」と言って立ち上がった。
いとこのお兄さんが、夢にお父さんが出てくることを何度も話していたらしい。
その夢の話の一つ「父が、雨はいやだなぁとよく口にしている」。
偏食だった私は鼻をつまんだり麦茶で流し込んだりして、なんとなくその話を聞いていた。
食事中に立ち上がると怒る父が、箸を置いて向かったのは本堂。
湯河原の本堂は16畳と狭いため、横の部屋に位牌堂が併設され、そこに、叔父さんの御遺骨も安置されていた。
よく見ると、天井からわずかに雨漏りがしていて、叔父さんの遺骨に水がかかっている。
「そういうことだったのか」と父。
幼少期のこの経験、少し鳥肌がたったような気もするけど、、、
不思議なこととか、目に見えないものの存在。これらに疑問を感じることがまったくない私です。
お寺、僧侶、となるとよく聞かれること「霊はいますか」「見えますか」。
答えはイエスだけど、それだから手を合わせているわけではないし、見えているからお経をあげるわけでもない。
日蓮こいしくをはせば、常に出る日、ゆうべにいづる月ををがませ給へ。
いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。また後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん。
私が慕わしくお思いでしたら、朝に登る日や、夕方に出る月を仰いでください。私はこの世でいつも、日や月に姿を映して、世の中を照らす身ですので。また、死後には霊山浄土でお会いいたしましょう。
私たち人間をつないだり、安心させたりしてくれるものは、この「信じ合う」「想像し合う」心のように思っています。
「眼の前」にいれば、それは安心だけど「今頃あそこに着いて楽しくしてるだろう」と想像すると、自分も楽しくなる。
日曜日に仕事に前向きなドラマを放送することで、月曜日の活力をもたらす。
死後の世界を前向きに知り、受け入れることは、この世をより楽しく、有意義に過ごせるコツかも。
そんなお手伝いも出来るよう、少しずつ発信してまいります。
あとがき
「そういうことだったのか、ごめんなぁ」と父。
数秒立ち止まって考え、、、
御遺骨をずらし戻っていった。
雨漏りは直さないんかーい。