2024/04/06

あかを落とす

 以前あるテレビ番組で、シロアリを迷路に入れる実験をしていました。

 シロアリは、正しい道や進むべき道を見つけると、先頭のアリが戻ってその道を伝え、行き止まりから戻るアリは、道は間違っているので何も伝えません。

 しばらくすると、道を間違えるシロアリは一匹もいなくなり、きれいな線が迷路に出来上がりました。

 何度も行き止まりに出くわしたアリ、少しで済んだアリ、全くスムーズに進めたアリ。
 経路は違っても、最後は誰もが行くべき道、ゴールへ進むことが出来たのでした。


 試すことも、正しい道を進むための行動。行き止まりにあうことも誰かのためになる行動。
 すべてが意味のある行動 → 誰もが納得して出来る行動 なのです。

 だからでしょうか、中途のケンカもなく、疑うこともなく、自身の行動を全うし、結果全員が迷うことがなくなるのかもしれません。


 番組はそんな意図を出してはいなかったでしょうが、私は「人間は必ずしもこうはいかないんだよなぁ」と思ってしまうのでした。

 すべき行動が出来ないとは。
 人の成功が気になる、素直になれない、イジワル、見てみぬふり、ウソ、嫉妬、見栄、などなど・・・
 いくら自分に言い聞かせても、どこかモヤモヤしている。


 動物で一番かしこいのは人間なのか。
 それは横に置き、感情に左右される生き物であることに異論はないでしょう。

 その感情、特に感動は伝染します。シロアリとは違う方法ですが、危険や正解も、もちろん伝えることができます。それを人間なら文字にだってできます。でも、感情が邪魔をすることもある。

 これから新しい環境に身を置く人。新しいことをする人。もちろんいつもと同じ日々を過ごす人だって同じ。

 もっとすごい人、かなわない人にあってへこんだりするかもしれない、嫉妬もするかもしれない。
けれど、他の人、もちろん他の生物のことを知り、そこから学ぶことで、自分自身も成長することができる生き物、それが人間。これを忘れてはいけないのではないでしょうか。

 お経にはこうあります。

 きれいなものをそのまま「きれい」と言える。
「頑張ったね」と認めて表現できる。
「お疲れ様」と肩をたたける。

 その人が気にくわないから、認めたくないから。
 そんな感情で、清らかな感覚を鈍らせてしまう人。それを他人に強制してしまっている人。

 自覚無自覚にかかわらず、そんな人が、この世にはいったいどれくらいいることでしょう。

 この、人間に溜まった「垢」を、落としてくれるのが南無妙法蓮華経と唱えること、そう先述のお経は教えてくれています。
 お経を読めるよう、まずは機嫌よく、そのためには少しでも健康でいられるよう過ごさなくては。

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